BIOGRAPHY
爆発的なスピードでディフェンダーを置き去りにする天性のトライゲッターである。5歳の頃に父親にラグビースクール(玄海ジュニアラグビーラグビークラブ)に連れて行ってもらい、ボールを持って走る爽快感の虜になる。足の速さは子供の頃からで、中学2年の冬に100m11秒7の記録を出し、高校では運動靴で11秒2を出した。当時、50mも測って5秒8だったという。高校2年で左膝、高校3年で右膝の靭帯を断裂する怪我を負うが、スピードは落ちなかった。地面を蹴る力が強く、暑い日の試合でスパイクの中が蒸れ、ステップを踏んだ瞬間、足の裏の皮が剥けてしまったというエピソードを持つ。大学1年時からレギュラーとして公式戦に出場し、大学選手権での活躍で日本代表への道が開けた。母方の祖父が開業医で患者さんから尊敬される人だったこともあり、現役引退後は医学の道に進む目標がある。ラグビー以外では、3歳から中学3年までピアノを習い、高校時代はバンド活動も行っていた。