BIOGRAPHY
FWプレーヤーとしては、スーパーラグビーで初めてプレーした日本人である(2013年2月22日)。その試合を見たエディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチは、「あのレベルで簡単にプレーできると感じた」とコメント。バランスボールの上に乗ったまま、バーベルを上げ下げできる体幹の強さはラグビー選手の中では頭抜けている。BK並みのステップワーク、抜群のハンドリングスキルで体格の不利を克服し、レベルズで2シーズンにわたって活躍。2014年度のトップリーグでパナソニックをキャプテンとして優勝に導いたが、直後の会見で首の負傷を抱えていたことを明かし、スーパーラグビー参戦を断念した。大阪の吹田ラグビースクールでラグビーを始めたが、中学時代はバスケットボール部。自称「動けるでぶっちょ」だった。高校でラグビーを始め、帝京大学ではキャプテンを務め、大学選手権でベスト4に進出。当時はFW第三列でHOに転向したのは社会人になってから。手先も器用で、ラグビー以外の趣味は、ギター、沖縄三味線を奏でること。帽子が好きで、キャップからニット帽まで多数保有している。